CBDCや暗号資産が、現状の国家間の制裁措置にどのような影響を与えるか。
はじめに
ブロックチェーンが世に広まって以来初めての国家間紛争であるウクライナ侵攻が起こりました。分散型金融は決して戦争を想定して作られたものではありません。しかしこの状況下で、「分散・非中央集権」という特徴は制裁措置の効果に大きな影響を与え、新興の金融商品が今後の制裁措置を支えることができるか否かという重大な疑問を投げかけています。
本記事では中央銀行デジタル通貨(CBDC)と暗号資産という2つの分散型金融商品を取り上げ、
を考えたいと思います。
ブロックチェーンの根底には、「金融の民主化、金融包摂の達成のための新しい手法の開発につなげる」というメッセージがあります。しかし、不正を行う者が居なくなることはありません。彼らの多くは脱税や違法な商品の購入、マネーロンダリングなどに暗号資産を利用しています。弾力性と安定性を備え、国際社会の利益を反映する新たな金融インフラを構築するためには、「場合によって取引を強制的に停止させることができる仕組み」が必要です。
1.SWIFTの果たす役割:規制に従う仲介者がいない場合、不正を行う者をいかにして罰するか?
分散型金融の分野において長年議論されてきたテーマの一つに、「コルレス銀行の作り上げたネットワークが果たしてきた機能を損なうことなしに海外送金を行うことの重要性」があります。
ブロックチェーンネットワーク上にはSWIFT(国際銀行間通信協会)のような仲介者がいません。よって、ユーザーは仲介者による検閲を受けることなく価値移転を行うことができます。多くの金融システムユーザーにとって、ブロックチェーンを用いたプロセスは(高価で時間がかかり包摂性を欠く既存のプロセスよりも)魅力的です。
このP2Pシステムは効率的である反面、不正を行う者がいる状況下においては問題もあります。問題とは、支払いを差し止める際に、資金が出入りする取引所を規制する以外の方法が存在しないことです。取引所を通じて規制する方法は、ウォレットアドレスが差し止めの対象となる主体と確実に結び付けられている場合のみ有効です。このような状態を実現するのは非常に難しいと言えるでしょう。
制裁対象となったロシアの銀行が国際的な決済ネットワークであるSWIFTから排除されたことが世界的に話題になりましたが、その効果は疑問視されています。金融機関同士が定められたプロトコルに従い正しくメッセージ交換を行うためのプラットフォームはSWIFTに限られるわけではありません。SWIFTに加盟していない銀行も、新興国を中心に数多く存在しています。これらの銀行は他と比べてより高コストで時間のかかる取引方法を用いていますが、取引自体は可能です。
ネットワークの利用制限は、あくまで他の制裁措置を補完するという意味で重要です。現在、制裁措置は対象企業との取引の阻害、ネットワーク利用制限は対象企業との取引をしにくくするという働きをしています。2012年の事例を挙げると、制裁対象国となったイランは制裁措置とネットワーク利用制限の組み合わせにより石油輸出収入の半分と対外貿易の30%を失ったと推定されています。
今後の課題は、SWIFTのような中央集権的ネットワークが存在しない場合における、不正を行う者に対する制裁手段を見つけなければならないことです。レジリエントな決済インフラはこの機能を備えていなければなりません。現在、ECBのような一部の規制当局はこの課題に対処するため暗号資産に関する規制を急ピッチで進めています。
2.将来起こりうる「暗号資産を利用した制裁逃れ」を防げるか?
現在ホールセール、リテールいずれのレベルにも、暗号資産による十分な決済インフラは存在していません。そのため、制裁対象となった国家が暗号資産を用いて制裁を回避しようとしても、まだ難しい状況です。しかし、近い将来このインフラが実現し、暗号資産を用いた決済が一般的になれば、制裁措置はその効力を失う可能性があります。
暗号資産を利用し制裁を突破した前例もあります。北朝鮮とイランは、金融規制を受け暗号資産を利用したことがあり、ロシアもまた彼らに続くおそれがあるのです。ロシアはすでにビットコインマイニング量世界第三位の国です。ビットコインにより、ロシアの犯罪者はランサムウェアから大きな利益を獲得し、オリガルヒ(政治的影響力を持つ新興財閥)は違法な資金を移動させる手段を得ました。
それでも2022年において、国際決済の手段を暗号資産に切り替えたとしてもそれがうまく機能するとは考えられません。国家レベルでの輸入品の支払い手段としても、個人レベルでの商品購入の支払い手段としてもです。
規制に沿った運営を行っている金融機関との連携が必要であるため、国家レベルの金融決済プロセスにおいて暗号通貨が他の通貨に置き換わるとは考えにくい状況です。金融機関で暗号資産を保有することのリスクウェイトは高く、暗号資産での決済に対応している金融機関はまだほとんどありません。ロシア中央銀行でさえ、金融機関に対しこういった送金を促進しないよう警告したことがあります。
個人レベルの話に移ると、消費者が暗号資産を使って小売店で買い物をすること自体は認められています。しかし、パンのような一般的な主食を暗号資産で購入することは容易ではありません。ビットコインを使えるオンラインマーケットプレイスのほとんどは現実のモノには対応しておらず、現実のモノを取り扱うマーケットプレイスのほとんどはビットコインに対応していないのです。開戦初期のロシアでみられた「ルーブルを暗号資産に替える取引の急増」という兆候は、代金の支払いのためというよりも、住民が通貨価値の低下に対するリスクヘッジを行ったためである可能性が高いと考えられます。
現在、暗号資産が制裁逃れのための有効な手段となるほどの力を持っていないことは分かりました。しかし将来についてはその限りではありません。暗号資産が一般的な決済手段となった未来を想定した場合、そのネットワークの設計に際し、制裁措置がどのような形で適用されるかを検討する必要があります。現在のアーキテクチャでは、 規制に沿った取引所はすでに、主要な制裁対象団体との取引を制限しています。しかし、制裁対象団体に接続されたすべてのウォレットアドレスを制限できているという保証はありません。この問題は非常に複雑で、解決は困難でしょう。
将来起こりうる問題を解決するため、「認可された主体によるウォレットの監査」の設計について考慮すべきかもしれません。設計に際し、AEO制度(Authorized Economic Operators program:条件を満たし認定を受けた業者に対し、税関手続きの緩和・簡素化を提供する制度)からヒントを得ることができるでしょう。この制度において、ネットワーク上の主体は迅速な通関のために追加的な識別情報を自ら提供します。ウォレット保有者も同様に、「企業レベルでの大口取引が可能になる」等の特定の利益を得るかわりに、法的な身分証明とウォレットを結びつける証明書の提供に同意する可能性があります。
3.中央銀行デジタル通貨は?
ロシア(デジタルルーブル)とウクライナ(e-hryvnia)の双方が話題に上がることから、多くのニュースメディアが中央銀行デジタル通貨(CBDC)の重要性について疑問視しています。
現在、ロシアとウクライナのどちらにおいてもCBDCの大規模な運用は行われていません。CBDCが存在する状況下で紛争が起こる、そんな将来を見据えるならば、現在我々が直面している「現物の現金需要の急増」、「ロシア中央銀行の資産凍結」という課題に直接関連して、考えておくべき事項が二つ存在します。
現在の課題と関連付けて考えるべき点の一つ目は、「トークンベースのCBDCは金融危機の際に生じる現金不足という課題を解決できる可能性がある」ということです。ウクライナの住民もロシアの住民もお金を引き出すためにATMに並んでいます。これは自分の資産にアクセスするためのスマートな方法とは言えません。もし住民一人一人が保有する政府発行通貨が紙ではなくトークンであれば、預金管理のためにATMや銀行に行く必要はなくなるはずです。CBDCの保有者は、自分の保有する通貨が安全でアクセスしやすい状態にあるという確信を持つことができます。また、設計が適切であれば銀行強盗の脅威でさえ軽減することができるかもしれません。
さらに研究が必要な機能の一つが、オフラインでのアクセスです。現金システムに対するストレスを真に減少させるためには、CBDCはオフラインで利用できなければなりません。これは技術的に簡単なこととは言えませんが、現在これを推進するための研究が行われています。現在危機のさなかにあるウクライナでCBDCが使われるようになれば、決済インフラ全体の弾力性が高まるほか、人々に「電力供給の有無にかかわらず保有する資産へのアクセスや送金が簡単にできる」という安心を与えることができるでしょう。これは、ロシアによるウクライナ電力網のハッキングという歴史を鑑みても重要な要件と言えます。
現在の課題と関連付けて考えるべき点の二つ目は、「CBDCは不正な国家資産の凍結プロセスを最適化できる」ことです。ロシア中央銀行の資産を凍結する決定は、制裁の中でも非常に重要なものの一つです。アメリカ(およびEU、イギリス、日本、カナダ)は、国家・国内機関が保有するロシア中央銀行の資産を凍結しました。この制裁の成否は各金融機関が決定を遵守するか否かにかかっており、今のところ遵守はなされているようです。
CBDCが実現する最適化とは、発行者が常に自国通貨に対するコントロールを保持し、ネットワークのガバナンスが制裁を執行できるようにすることです。つまり、ロシア中央銀行がCBDC米ドル建てで保有している外貨準備に対し、米国準備制度はその資産を凍結し、技術的にその使用を阻止する能力を持つことになります。このプログラマビリティは、CBDCネットワークへのアクセスが制御される、つまりアクセス権を与えることも取り消すこともできることを意味します。これは、発行者が、様々なタイプの保有者による使用方法を制限できることを意味し、不正を行う者への制裁プロセスをより迅速かつ広範囲に行うことを可能にします。
4.まとめ
ウクライナ侵攻は、これからの大規模紛争のあり方を示しています。そのため、ブロックチェーンがどのように利用されたか、今後どのように利用されうるかを考えることは特に重要です。
ここまでで、従来の形態の制裁の有効性が薄れてきていることがわかりました。暗号資産や分散型金融は、銀行送金に対する公的な制限の下においても価値移転に利用することができてしまいます。現時点では、不換紙幣の送金に対するこれらの代替手段は、制裁による損失を完全に埋めることはできないでしょう。しかし、何も変化を起こさなければ、将来的に制裁の影響力はますます薄れてしまいます。特定の種類の取引や主体に対して政府がいかに制限を課すかを考慮することが新しい規制には求められています。
また、Bitcoin等の分散金融商品が人道的な影響を与えるために利用できる例もあります。最近の集計では5200万ドルもの暗号資産がすでにウクライナへの救援活動に使用されています。そして、復興が始まれば再建を支援するために住民への送金が必要になります。 CBDCはこれを適切に、効果的に行うための手段となるでしょう。
ウクライナの状況は日々変化し続けており、ウクライナとロシアの一般市民が紛争に巻き込まれています。このような出来事が人道的にどのような意味を持つのかを認識したうえで技術的な決定を今行うことが、私たちに課せられた使命です。この使命を達することで、国際社会がより効率的な制裁手段を制定し、住民が安全かつ利用しやすい預金にアクセスできるようにするための力を得ることができるでしょう。
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